昨年から、一般に「アラブの春」と言われる、アラブ諸国での反体制運動が拡大している。
すでに体制が覆ったところ以外でも、イエメンでは大統領の退陣後も政情は安定していないし、シリアの混迷はイランの体制支援まで始まって国際化する兆しもあって、どこも動きがなかなか収束しない。
そんな中、報道の扱いは小さいが、サウジアラビアで再び反政府運動によるテロがあったらしい。
サウジアラビアは、イスラム教の聖地メッカとメディナをかかえていることもあり、比較的現世肯定的なイスラム保守国として安定している。それでも、エジプト政変以降、テロが散発し、政府がなんとかそれを抑えきったという状況だったので、ここへきて、また再燃しているとすると、長引く可能性もあると思われる。
実際、アラブの春の兆しは、実はイランのホメイニ革命から続いてきている、イスラム圏の民主化への長期の運動と見るほうが正しいと思われる。
アメリカは、ユダヤ資本を中心として石油流通を抑えている関係から、どうしてもイスラム圏における安定政権、資本主義的政権を望ましいものとして、支援してきた。それは結局、(親米・反米を問わず)イスラム圏の独裁的政権への支持となっていたため、反ユダヤ感情とも結びついて、長い間イスラム圏での反米感情の原因となっていた。また、政権側も、政権への反感をそらす手段として、反ユダヤ、反米を利用してきたような部分もあったと思う。
しかし、その帰結点としての2001年のビンラディン派によるアメリカでの大規模テロは、おそらくはアメリカのイスラム圏支配力の弱体化と、それによるイスラム圏各国の自立化、そしてよりイスラム的な社会への転化を狙ったものだったのだろうが、実際にはイスラム圏各国の政府は、国民感情からアメリカの支援が受けにくくなる状況に対応して、国内の不安定化を抑えるために、逆に国内統制を強化する動きを惹起することになった。
これによって、イスラム圏では世俗的(反イスラム的)な政権が存続し、宗教的生活を重視するイスラム教徒から見ると、より状況が悪化してしまった。
この状況になって、アメリカを悪とみなす思考方法は、見当はずれではないものの、多分に思想操作されていた状況であり、やはり直接的に政権を変えない限り無理だということが、徐々に浸透してきたのが、2001年の同時多発テロ以降のイスラム社会での意識の底流だったのではないだろうか。
そうすると、それほど宗教的に強い権力の源泉を持つわけでもない王家が強力に政治権力と経済を握り、社会的には保守的でありながら、王家関係者は熱心に投資を行いイギリスやアメリカに多数が住んでいるという、支配層の世俗化を抱えているサウジアラビアは、今後政権の不安定化が進みこそすれ、安定が増すことはあまり期待できない可能性のほうが強い。
女性の就業や、屋外での趣味の許容など、最近矢継ぎ早に打ち出されたサウジアラビアの女権拡張も、おそらく社会的な抑圧への反感を和らげるための一手段であろうが、こういった小出しのガス抜きで、どこまで安定を維持できるのか、予断を許さない。
イスラム的に正しい社会を実現する方法として、イランのようにより宗教国家にする方向性と、国民の意見が反映されなかったことが世俗化の原因と見て、民主化に進める方向性があって、現状ではそれは、欧米的価値観で見ると対立する方向性であるのだが、実際にはイスラム圏の社会においては、どちらをとるかは微妙なところにある。
すなわち、サウジアラビアにおいても、民主化を希望する勢力のためのガス抜きとして実施されている政策が、現実には社会の世俗化促進=宗教的社会の破壊と見られる可能性もある。
これが、モロッコのように社会における経済観念がもともと発達している地域なら、民主化は経済的自由の獲得とそれによる利益の再配分につながるとして、受け入れられ、社会の安定化につながるだろう。
しかし、サウジアラビアのようにこれまで国民に宗教社会以外への意識があまり育っておらず、さらに石油の利益のような国民に分配されにくいが存在が明白な利益がある場合、世俗化による石油権益の独占の正当化と受け取られる場合もあり得るわけで、反政府的な不満層をより拡大する可能性もある。
いずれにせよ、イスラム圏における民主化への動きは、経済的社会的な個人の活動の自由を直接的に希望している場合ばかりではないということについて、日本での報道は視点が欠落しているように思うので、そこを読み違えるべきではないと思う。