四次元のかけら

3次元世界で暮らしてると、2次元も1次元も目に見える形で理解できるし、4次元もいまいる世界に時間の操作を加えたものと知識として知っているので、そんなに遠いものとは思えない。
でも、実際には見たことはないので、4次元というのは思ってる以上に遠いんじゃないだろうか。

2次元の人にしてみたら、3次元では「大きさ」というものが、面積だけじゃなく、それを積み重ねた方向にもあるらしいということを、知識としては理解できるけど、具体的にはどういうものか、想像もつかないだろう。
同じように、我々にとってみると、「大きさ」というのは体積だが、4次元ではそれを時間軸方向に積み重ねた方向にもあるらしいということを、知識としては知ってるが、具体的にどういう形状なのか、想像もつかない。

たとえば、石があって、大きかったのが割れて小さくなったり、周辺の石とくっついて大きくなったりするという、時間の経過による変形も、変化ではなく一体の形状として認識されるということだろうか。

そう考えると、3次元世界というのは、時間の変化に依存して設定されているシステムがとても多いので、4次元世界から見ると、どうしてそんなことが成り立つのかと思うだろう。
たとえば、仕事をして何かを作るとか、おなかがすくから何かを食べるとかは、時間の経過に依存している。資本主義はそもそも時間をお金で買うシステムだし、家族も時間の経過で増減する。宝くじが当たるかどうかなんて成立するのは、時間の経過は個人の自由にできないからだし、株だって為替だってそういうことになる。

しかし考えてみると、3次元世界で大きい粘土を買うか、小さい粘土を買うかは、持ってる資産によって左右される。誰でもが自由な3次元操作ができるわけではないということだ。
そうすると、4次元においては、時間の操作も何かの制約があるので、人によって時間の長短はあれ、おなかはすくし、宝くじの当たりはわからないのだろうか。

最近の学説では、ビッグバンという宇宙の誕生は、4次元あるいはそれ以上の次元で、何か起こったことが、3次元世界に一部分だけ現れた現象ではないかということが、言われているらしい。確かに、何もないところから急に宇宙ができて、しかも膨大なエネルギーの産出を伴いながら膨張しているというのは、他のどこかにそれをもたらす何かがあると考えるほうが、妥当な気はする。
そうすると、その4次元だか5次元だかで発生した事象が、たとえばビルを建てるような、何か確固たる事象であって、その結果この宇宙というものができるに至ったなら、まあいいが、気まぐれで風船を膨らましたとか、火事が起こったとか、そういう一過性ではかないもののかけらがこの宇宙だとすると、何かのひょうしにパッとなくなってしまうのかもしれない。

しかも、高次元での何かの事象の結果この宇宙ができたが、できた宇宙についてはその世界で完結して勝手に発展してきてるというのは、あまりにも3次元世界に都合よく解釈しすぎなようにも思う。
宇宙が高次元の何かのかけらなら、その中にある物もすべて、高次元なら別の物なのに、3次元的に見てるので、土や水や炎に見えるんだけど、実際には4次元とか5次元で起こってる何かが、そう見えてるだけかもしれない。
自分たちも、それぞれいろいろ考えたり、喜怒哀楽を感じて、生活してるように思ってるが、それは4次元の人や5次元の人のある部分が、3次元世界に現れて、いかにも自律的に生活してるように見えてるだけで、実際には4次元の人の服がヒラヒラしてるのが3次元で見ると人の一生に見えるのかもしれないし、5次元の人の細胞活動が、地球なのかもしれないとか、とにかく何かしらより高次の世界のかけらなのかもしれないと思う。


Author: talo

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