努力するということ

朝日新聞で、受験生向けのコラムが連載されている。
その中の、東大卒の臨済宗の僧侶の人の話が、興味深かった。

実際の内容も面白かったのだが、この人が「努力する」ということを特に苦にしていないということが、いちばん興味深いポイントだった。
この人にとっては、やることが分かっていればそれをやるだけということのようだが、実際には世の中のほとんどの人にとっては、それこそが難しいのに。

文中で「めんどくさい」と言ってやらない子がいることを、批判的に話している。
でも、その「めんどくさい」はきっと、この人が思ってるよりずっと重いことなんだけど、この人にはそれは理解できないんだろう。
しかも、その子たちの「めんどくさい」の背景には、実際やってみた経験も含まれている。やってみたけど、うまくいかなかった、いくつもの経験から、彼らが導き出した自分を傷つけない方法が「めんどくさい」なのだ。

おそらくこの人にしてみれば、じゃあうまくいくまでやればいいのにと思うだろう。
しかし、世の中には何をどうやっても(おそらくすごく努力しても)どうしようもない人というのはいる。そしてその10倍以上、そもそも努力するということができない人たちがいる。
努力することができる人は、それは本人の気持ち次第と思うだろう。しかし、そんな単純な問題ではない。
最近、腸内菌叢が人間の行動に及ぼす影響について、いろいろ研究が進んできて、たとえば動物や昆虫が寄生虫によって行動をコントロールされてしまうのと同じようなことが、人間の腸内細菌によっても起こっているらしいことがわかってきている。
それと同じで、人間を作っている神経や筋肉や脳や遺伝子など、いろんなものが努力というものに対して前向きに組み合わさっている人にだけ、努力ができる。
努力も才能のうちだ。

人をうまく励ますのは難しい。
自分ではそんな大変なことと思わず、真摯に励ましている言葉も、ちょっとしたことで相手に届かない内容を含んでしまう。
人を励ますのも、きっと才能が必要なんだろう。


Author: talo

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