イギリスにおける、EU離脱の可否を決める国民投票は、離脱を選択する結果となった。
国際的には、いくら何でも離脱はあるまいという見込みが大勢となっていたため、やや意外な結果と言えなくもないが、簡単に言うと国民は部外者が思うほど冷静に判断できる環境になかったということになるだろう。
今回の投票では、単純に残留か離脱かが問われた。
事前のEUの譲歩により、残留の条件が多少変わりはしたものの、残留した場合は現状維持であり、離脱した場合は何らかの変化が起こるということになる。
こういう場合において、現状に満足している、あるいは現状からの変化は失うものがあるという人々は、残留を選ぶ。逆に、現状に不満である、あるいは現状が変化しなければ得るものが増えないという人々は、離脱を選ぶだろう。
すなわち、実際に見えている現実というものと、見えない架空の状況を天秤にかけて、約束はされてない架空のほうが今よりもまだましという人が多い世の中では、架空の状況のほうがより幅広く人々の期待を集めることができるので、有利に働きがちということになる。
キャメロン首相としては、イギリスの景気はオリンピック以降、順調に推移しているし、国民の間には現状肯定的な機運のほうが強いと見ていたから、国民投票に打って出たのだろう。
しかし、国民投票を公約とした2013年総選挙以降、シリア難民の流入問題は徐々にEU全体を覆い始め、それとともに従来からあったイギリスへの東欧からの移民の増加の問題も強く意識されるようになってきていた。
おそらくキャメロン首相もそのことは認識し、事態の鎮静化を待って国民投票を実施するつもりはあったのだろうと思う。しかし逆に、中国経済のつまづきなど、景気の悪化も懸念される状況で、これ以上の延引は逆にリスクを伴いかねないということもあって、2月になって6月実施を発表したというところか。
結果としては、この6月実施すら遅きに失したわけで、特に2015年のシリア難民の大移動で、よりEUというものの危険性が強く認識されてしまったあととなっては、そういう事態にとりわけ敏感に反応する労働者階級の反EU意識が高まった状況での投票となってしまったことは否めない。
経済状況から現状維持を選ぶと思ったら、それ以外の問題のほうが大きくなってしまったのだ。
そういう意味で、漠然としたEUでないイギリスというものへの期待が、想定以上に大きくなっていたタイミングというのが、すべてを決してしまった。
そもそも賭けというのは、賭けるときにお金があるのかないのかわからないのに、賭けたりするものではない。同様に、支持があるのかないのかわからない、4ヶ月も先の期日の賭けをしてしまったというのは、あまりにも世間知らずというか、お人好しな設定だったのではないだろうか。