支度

母親が危篤だ。

父親のときは、もう死ぬもう死ぬと言いながら5年くらい生きて、しかも死ぬ前の日まではまだまだ死ぬ様子もなかったので、本人も家族もなんとなくあっけないような、あと疲れきって判断停止に陥ったような状態だったので、わりと事務的に葬儀まで終わらせたように思う。

母親もそれなりに事前の予告があったので、ある程度覚悟もできて同じような感じかと思っていたのだが、思ってたよりすぐに危篤になってしまって、半年前には新居を見に来ていたのに、もう意識もはっきりしないし覚悟しておいて下さいなどと言われても、そう急に覚悟もできないので、心の整理もまったくできていない。

父親と母親を比べると、もちろん母親のほうが身近だったので、比重が重いということはあるのかもしれないけど、それよりも両親ともにこれでいなくなって、自分を計る基準みたいなものがなくなってしまうということが、大きいように思う。
いまさら親に何かを教わったりするでもないし、いなくなったら何も判断できないということもないとは思うが、なんとなく自分の行動の基準に「親がこんなときどうしてたか」というのが、その通りにするか違ったようにするかを問わずあるので、そこがもう現実に確認できなくなるのだなぁというのが、自分の中で非常に重いことのように感じているように思われる。

もうこれからは、昔のことをちょっと思い出しても話す相手はいなくなるし、次は自分が死んでいく番なんだなと思うと、やっぱり寂しい。


Author: talo

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